Android携        アシンメトリーな脳はそれだけで旅をする運動だ       
    第三章  全体脳における運動に、生活全般を格上げするために                     本質を理解しながら日常で今できること。  

時間が経過しましたが、空想的なラファール猿人から人類が進化していく様と自分の体験を重ねあわせ内面に起きる変化を書いてきた第一章。
僕の大好きな執筆家の本をベースに身体を全体的に捉えるには筋肉や骨ではなく、身体感覚から生まれた言葉なのだと言うことを書いた第二章。
そしていよいよ第三章では、腹筋運動や柔軟体操と言われているものが、解釈を如何に脳が間違えて捉えることでマイナスの要因さえも生み出している事に焦点を移して行きます。  


 広葉樹のある森が、森に住む全ての生き物と仕組みを最大限活用して、地球全体にオッパイのような、 どの生命体にも欠かすことが出来ない栄養素を供給していることを、この何日間で説明してきました。
そして動くことを通しての世界観から、そこの大切さを知り興味を抱かれ宇宙観でのもうひとつ大きな枠からフィードバックに達せられても、結果同じことにたどり着くことは、植芝盛平合気道開祖の一霊四魂三元八力で証明されていると僕には思われます。

では森が先でしょうか、オッパイが先でしょうか。
ここはパラレルワールドなのではないでしょうか。

例えば腹筋運動のときに、描くビジョンが割れたHARAだけでは、内蔵空間を必ず痛め、内蔵から繋がる口の中を固め、結果食い縛るようになってしまいます。
すなわち外を固めたときに、同時に中も固めてしまうのです。
動きを操るとき、八力で言えば、固まる緩めるの相反する力を、寝て起き上がる時の固まると、起きたところから床に戻っていくときの緩めるをせめてひとつ先の運動の状態を意識しながら、その逆の今の運動をしなくては、二項対立になり、自然界の大いなる「相反する力でひとつとなす」事から生まれる有効な力は出ません。
そして本当は、更に三つの相反する力を感じていなくてはなりません。
勿論その力を生む、三元の部品の特質、剛、柔、流もイメージしとかなくてはなりません。
此処にメンタルが関わるのですから、一霊の宇宙観での腹筋運動をする意味合い、そして四魂のHARAの意識(勇気力)、横隔膜の意識(親交力)、ハートの意識(愛育力)、起きている現象を科学的に捉える意識(思考洞察力) この四つの心の力で腹筋運動を捕らえていなくてはなりません。
表面上のHARAが割れると言うことは、内面ではスペースが生まれることになるのです。
と言うことは、腹筋から伸ばすときには、内面のスペースを既に意識できていなくてはなりません。
ミクロコスモスですから、内面な宇宙観になります。
見た目の外側のHARAが割れるのは、世界観なわけです。

こうなると八力のもうひとつで分ける、合わせるが運動に加味されます。
そして腹筋運動で状態を起こすときは、内部の静けさを感じると、聴覚作用で、内部を固めません。
此れで八力の動的、静的が同時進行で意識可能になります。
そして引く、緩めるは、内部現象よりも、外の宇宙観との繋がりです。
自分が外の宇宙観に対して引くには、宇宙観が緩まっていなくては引き付けられません。
宇宙観と宇宙観の狭間に世界観があるのです。
此れは宇宙科学でもリサランドールが証明済みです。
自分が緩まる為には、相手は引いていてくれないと倒れてしまいます。
此れを意識できることが身体意識です。
それには四つの心である、四魂が必要です。
多分気が遠くなり、面倒で投げ出したい気持ちになると思います。
けれども諦めたらそこまでです。

動きを素晴らしいものにまとめあげて、結果に結びつけるには、どれがかけても、すきがあったことになります。
宇宙観での力で僕は成し遂げられないことは、この世に一つも存在していないと思っています。 勿論僕もその事を証明したく、自然界が回るから、経済も回り、福祉も教育も回り、だから家族が回り、個が回ってその中心から様々なエネルギーが湧いてくる事を目指して、個というスタートであった、意識しての心体操作から、逆の宇宙観からの無意識からの心体操作に移行したのです。
けれども意識からのスタートでは、充分理解した筈の道が、逆から辿ると直ぐに抜け落ちていきます。
身体意識とは意識したものを、逆の道でさかのぼりながら無意識におとしこむことです。
それを気づけるだけで素晴らしい事ですが、出来る限りこのように宇宙での変革時期に向けて、自然界は加速していますから、そんな悠長な所に停まっていては、又先に災害や環境変化が起こす驚異に、越されてしまいます。
これだけは3.11で超されたと認識できた自分を、今度こそは、前もって準備できている社会に成熟させたいと強く自分に決めた目標を、諦めてしまうことになります。

野球で言えば、相手のピッチャーの球筋に威力に、緩急の使い分けに、ことごとくタイミングをずらされている意識があるにも関わらず、結局打てなかった事と同じです。
ではどうやったら打てるのかは、個から気付いた、ズレているタイミングを 逆の宇宙観からスタートさせて、結果無意識に打ててしまった、という道しかありません。
ですから先ずは単純な腹筋、背筋運動や、走ること、歩くこと、柔軟体操等で訓練しなくてはなりません。
結果筋力も柔軟性も同時にあがっていきます。
メンタルも同時に鍛えていることになります。
そのためにはある癖をつけてください。
一日に起きた事や、目標にしている事での道を、逆に辿る癖を磨くのです。
此れが天然伏流水を飲むことで加速します。

きっとブッタやイエスもそのような思考がベースになって行ったのだと、僕は思っております。 こうなると今起きている社会や自然現象が、何処からスタートしてこうなったのかを理解できます。 僕はその結果、森に行き着きました。
その辺の専門家である、敬愛する中澤新一さんが仰るように、その現れがお墓が家から遠くに離れて行った現象を示しています。
しかしそもそもが家とは、生きることに困らない自然が溢れている「場」のことです。
ヨーロッパやロシアでは誰もが安価な手作りの別荘と家庭菜園を持っています。
日本の都市化は、其処を大きく抜け落ちさせて来たのです。
昨日のNEWSでも取り上げられて今したが、墓石もないガーデンのような共同墓地が安価で売り出されました。
此れはその現れで、宇宙観から生命を受けた人間が、世界観の終了後には宇宙観に戻ろうとする動きです。
表面上では、残った家族に墓を守る煩わしさを持たせたくないと言う理由でしたが、土地が沢山あるこの東北では、ウバステヤマが存在してました。
其処は捨てられると言うよりも、老後のアジールでした。
ですから家族の世界観の役割から卒業して、自然の中で自給生活をする、老後の共同体でした。 世界観からの卒業ですね。
より自然に宇宙観に入れるクッションがあったからこそ、死と言う宇宙観に入って行けたのだと思います。
世界観のままに死ぬと、穏やかに死を向かい入れられないのだと思うのです。
それでは念が残ると、思うのです。
そして今僕らは、地球のサイクルの、大きな変革期に立たされています。
生きてるうちに多くの一つの死を体験せざる終えない状況にいるのではないでしょうか?
ですから宇宙観の獲得が必要ですが、同時に世界観にも所属していなくてはならない時代なのだと感じます。

だからサッカーのようなスピード感が人生で必要になってきているのです。

それが生きながら次元をあげると言う 本当のアセッションの姿だと思います。
人々は世界観の共同体から個の確立を求めて、都市に出ました。
今は宇宙観での共同体を早急に創る必要があります。
人間の世界観から一度でて、自然界の仕組みで生きることです。
それがまだまだ少数ですが、田舎暮らしに人々を向かわせている事に現れているのではないでしょうか。
第一次産業への回帰も同じこと。
しかし生きながらに多くの死を感じるためには、ヨーロッパのように、養老孟司さんが仰るように、参勤交代のような田舎暮らしのスタイルです。
ヨーロッパでは市民農園の野菜も市場に出せます。
ですから彼処まで自給率を高めれたのです。
誰もが国民の食を守り、供給していることに参加しています。
何ヵ月間を交代制で一次産業に従事することで、自分が都市で生活しているときは供給される側になり、一次産業に従事しているときは供給する側で生きているという姿です。
此れは精神にも素晴らしい安定を与え、体も都市でルームランナーにのっているのとは違う、食を、生きるを下支えしているからこそ生まれる、身体運動の結果が表れて来るのです。
個人の家庭菜園では、決して生まれる感覚と体感ではないのです。
だから仕組みを作りたいのです。

 腹筋運動ひとつとっても、其を効率よく鍛え、稼働させるためには、そのような世界観と宇宙観の共存体験なくしてなしえることは不可能なのです。
僕が尊敬する身体ワーカーの父、肥田先生は、相当な生まれつきの病弱を克服するために、肥田強健術を見いだされました。
はじめは、運動に十二時間も時間をさいて鍛えられておりましたが、あるときにエクササイズするために生きているのではなく、その身体を使って宇宙観で生きるために鍛えているのだと気付かれ、約三分のエクササイズに凝縮されました。
しかし僕らは、例えば躍りの稽古でも、常識と呼ばれるエクササイズ時間に縛られています。
例えばダンスのレッスンは一時間半とかです。
此れが三分で人々は同じ料金を払わないのではないでしょうか?

此れは今当たり前に舞台鑑賞に支払う金額にも実は表れているのです。
昔は一人の王さまというパトロンに見せるものでした。
其が王室的な経済が崩れて、二千人で割れば可能となり、劇場は二千人が平均値に設定されたのです。 そもそもの出発点が違うと、全く違ってきます。
バレエのチュチュも下半身のセクシーさを王さまに見せて、今晩のお相手にしてもらうために、オマタ丸出しのスタイルになったのです。
常識を考えるのではなく、これからの常識を考え構築することが、どの分野でも必要なのではないでしょうか?

過去の偉大な文明は全て宇宙観から世界観を見る文明でした。
其は自然界が創る魔法を学ぶ、魔法学校だったと思います。
ルグウインのゲド戦記も、其を大衆化したハリーポッターも其を必要とする時代に入ったことを示しています。
腹筋は地表です。 背筋も地表です。 柔軟も表層筋です。
しかし中を宇宙観で捉え、外の宇宙観と繋がると、不思議にその間にある世界観での筋力、筋質は意識せずとも変わります。
そして此れはそのまま脳の形態です。 太陽系の形態です。
其処には直線はありません。
地球という宇宙観と大気圏外の宇宙観、その間に存在している私たちの暮らしの世界観がそのまま思考の世界観です。
現世で生きるとは世界観を高めることですよね。

ダンスの世界をもっと高めたいとか、家族の世界観をもっと強固にしたいとか、もっと個の世界観を確立したいとか、自分の理想体型の世界観とか。幸せになりたいとかも。

しかし世界観が大きく分断されるほどに其を包む、無限の宇宙観を知らなくてはならないのです。
サンドイッチで感じてみましょう。
具が多くなるほとに食べづらく、扱いにくく、味もとりとめのないものになっていくはずです。 その世界観という具と宇宙観という挟むための食パンの間を繋ぐものが、フルボ酸鉄です。
食パンの外には循環するけれども放出しません。
言い換えれば気の正体なのかも知れません。

その全ての構成員によって創られるフルボ酸鉄の循環があって、僕らは生かされています。
其処に動植物も魚介類も菌も虫も鉱物も全てが参加して、この重要なフルボ酸鉄を永遠循環する働きをしています。
その中で人は、その循環がうまく働いているかを注意深く観察して、バランスが崩れたときに調整する役割を、担っていたのではないでしょうか?
この役割をベースに経済を動かしていれば、このようなどん詰まりの閉塞感にはならなかったのだと反省します。
では何故そのような思考を生めなくなったのかというと、ずーっとblogに書いてきたように凄くシンプルな事です。
まだまだどうにか探せば存在している自然界のフルボ酸鉄を、体内に取り込めば良いだけです。 もう食品にはほとんど含まれていません。
木や魚介類、動植物、昆虫と同じく僕らの体内にも、ドラマという宇宙観が存在する、自然界のフルボ酸鉄を取り入れ宇宙観との循環をしなくては、ならないのです。
だから伏流水のご利用サポーターさんには、勿体ないから生で飲むときに、買ってきた野菜を此れにつけて野菜内部にフルボ酸鉄を充分に採り入れて、此れも出来るだけ生で食べてくださいとお伝えしています。
煮込むものは殺菌ミネラル水で充分です。
我々が変化し気づき、我々の思考も運動も健康も司ってくれている、大いなる魔法の力を個の体に採り入れて、其所から生まれでる思考と運動で創る、宇宙観の共同体ならば、必ずこの地球環境の大変化は乗り越えて行けるのです。
このお水を生で採り入れて、腹筋や背筋柔軟をしてみてください 必ず変化が生まれます。
其は本当に長い時間をかけて循環してきたものが、体のなかを流れるからなのです。
ですからインデイアンは千年先を見て、一本の木を切るのかも考えたのでしょう。
彼らの選んだ居住地には、全てフルボ酸鉄を大量に含んだ伏流水という湧き水があり、その側で暮らしていたことがその証明にもなります。
縄文人も同じ思考を持っていました。
この活動のお水を供給している御所山一体は、アイヌ系の縄文人が暮らした森です。
だから神話や歴史を調べてこの地を選びました。
壮大なドラマの中に潜んだ叡知が、伏流水には秘められています。

もう既に野菜では生産者の顔や拘りが提示される時代に来ました。 其を水で僕はやってみたいのです。 生産者は森です。
だから飲みながら、このblogや今執筆中の絵本や会員様におまけで届けている様々な製品も森を感じて取り入れて頂くためにはなくてはならないものなのです。
晩秋には、梅酒をおまけにつけます。 殆どがジャム同様に見たら食べれない程の原料で作ります。
しかし伏流水からの贈り物というおまけでは、其は許されません。
昨日途中段階の試飲で、余りの美味しさに驚きました。
サポーター会員のかたは楽しみに待っていて下さいね。
この梅も伏流水につけてから仕込んだものですよ。
ですから魔法です。
森の魔法の力で出た味わいです。

僕らは森を食べて生きているのです。
森を食べれなくなると野性動物が減ってきているように、僕らも生きていられなくなるのです。
けれども森を食べれなくしたのは僕ら人間です。
だから僕らで治して行くしかないのです。
直そうと心を決めたときに、全ての生命体が味方になってくれます。
彼らも味方になってヒーローになる日を今か今かと待ちわびています。
そのヒーローへの変身魔法ドリンクが、伏流水なのです。

「お山の森さんは、太陽や風や大気の力を借りて  落ち葉を作ります。  落ち葉は、虫さんや沢山のお山の仲間で協力して、地球上に、自然にしかつ くれない、素晴らしいご馳走である「森のオッパイ」をつくってくれます。  お山とお山に住む全ての命は(植物も動物も昆虫も菌も皆だよ)地球さんの三ツ 星シェフです。」